成人した子供が容疑者に、親の責任ってどこまで?その2

先日、群馬県前橋市のビジネスホテルで起きた強姦致傷事件について、容疑者のお母さまである女優さんが記者会見を行いました。
冒頭から謝罪の言葉を述べられ、時には涙を堪える様子を見せながらも、しっかりと対応されていらっしゃいました。
予定の30分をオーバーして約1時間、立ったまま質問に答えておられました。

あの会見を見ていたら、心が痛くなりました。

『母親』として責任を感じている、と何度もおっしゃられていましたが、ホントに責任はあるのか?と改めて思いました。

番組でも、一般の方の意見を紹介していました。
親の責任は『ある』のか、『ない』のか?賛否が分かれていました。

日本は、親子のつながりがとても強くて深い文化を持っていると思います。
それ自体はとても良い事だと思いますので、反論はありません。
しかし、少々過剰ではないか。

少子化で、ひとりの子供に対して深い愛情があるのは理解できますが、それとこれとは話が違います。

親がいつまでも親であってはいけない。

そうでなければ、世の中子供ばかりになってしまいます。

世界的にも、おおむね20歳が大人の目安とされています。
20年も親の元で教育されれば、大抵のことは自分で出来るようになっているはずです。
親が教えなくても、友人や会社、地域によって育てられて、立派な大人になれるでしょう。
親だけに育てられた人はいません。
昨今の、地域との関係が希薄な社会になったとしても、多かれ少なかれ親以外の人との関わり合いが全くない人なんて存在できないのです。

今回の事件だって、ひとが嫌がることをしてはいけないと知らなかったのなら起こり得ること。
知っていたら起こりません。

では、なぜ起こったのか?

悪いと分かっていてやったのです。

『ガマンできなかった』『企てたのではない』この言い訳を聞いた時、そう思いました。
大人の言い分ではありません。

でも、お母さまは、大人の責任について息子さんにきちんと教えていました。

『あなたが不祥事を起こしたら、私が仕事を失うの。私の仕事を取らないで』

普通の子供なら、これで『悪い事をしたら自分だけじゃなくみんなに迷惑がかかる。やってはいけない』と分かるでしょう。
でも、容疑者はわからなかった。
いえ、分かっててやったのです。

親の教育が悪かったのではなく、子供の意志で犯罪を犯したのです。

そうなれば、親の責任なんてありますか?
息子さん自身に責任を取らせるべきです。

人様に迷惑をかけたら責任(賠償)しなくてはならない、と身をもって教えることです。
大人である以上、それ以外に再教育のすべはありません。

最近は、学校の先生に親がすべき教育を丸投げしている情けない親御さんがいますが、教育としつけは別物です。
学校で行う教育は学習(教科)のことで、社会人としての教育がしつけ、親が扶養しながらするものです。

家庭の複雑な環境などもあって、十分なしつけができていないという人もいます。
そんなことありません、しっかりやっている子だっています。
今回も母子家庭だったから、と騒ぐ人もいますが、母子家庭で育ったから犯罪者になると言うのは偏見です。

個人の意識の問題です。

女優さんが記者会見で、息子さんに『お母さんは、どんなことがあってもお母さんだから』と言ってしまい、その事も謝罪していました。
それ、謝罪の必要ないですよ。
親なら誰だって思う事です。
むしろ、親がいるってことを再確認してもらう、いい言葉です。

犯罪者も人です。
某ドラマで、『人は、一人では生きてはいけない』と言っていましたが、まさにそう!
犯罪者を孤立させることは、再犯や自殺を招き、賠償責任から逃がしてしまいます。
本末転倒。
一番身近な人がそばにいると分からせることで、賠償の責任を負わせると共に、本人の更生に繋がるのではないでしょうか?

金銭・地位の責任ではなく、精神的な責任を取ること。
『親の責任』とは、こういう形でするのが理想なのだと、私は思っています。

私も一児の母です。
母親の気持ちは分かります。
何とかしてあげたいと思う気持ちはありますが、それでは子供のためになりません。
子供のためを思うなら、あえて突き放すでしょう。
その裏で、子供の更生の援助をしてあげると思います。

これが、ホントの『親子』の姿だと思っています。

この事件、まだまだ報道されることが続くでしょう。
芸能人のサガというもので片付けてしまっていいものか分かりませんが・・・。

起こってしまったことは、もう戻せません。
この俳優さんには、しっかりとした賠償責任を負ってもらいたいです。

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