保活その2、昔からあった保育園不足の問題

先日保育園入所の書類を提出し、今は結果を待つのみとなっています。
私的には第1希望が通って欲しいところですが・・・。

私の自治体は田舎なので、都会ほど保活で苦戦している方は見受けられないです。
第3希望までのどれかには入れているようですが、年齢によっては希望通りにいかず少し遠い所になってしまう事もあるようです。

都会の保活はホントに大変だそうですね。
聞いた話なのですが、書類に『子供を預けないと生活していけない』事情などを切実に書き込まないと入れてもらえない・・・。
それでも落ちると、親子共々路頭に迷い最悪なことになる・・・的な、一種の脅しみたいな事もあるらしいです。
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怖い・・・。

そういう自治体でなくて良かったと思ってしまいます。

子供が減っていってるのに、共働きの増加で保育所は足りない・・・。
老人も増えて施設が足りない・・・。

日本の核家族化が進んだ証なのでしょう。

私が子供の頃は、保育園に入れない子っていなかった気がするのですが、どうでしたか?
少なくとも私の出身自治体では、保育園から同級生を全員知っていた記憶があります。
そのまま小学校・中学校と進み、11年間同じクラスだった子もいます。

入所条件も今ほど厳しくなくて、専業主婦でも預けてOKでした。(書類上では自宅で仕事ということにしていたみたいです)
だから、年長組の時に1年間だけ保育園で集団生活に慣らす目的で入園していた子もいました。

そんなところでしたが、私の次兄の年代だけ子供の人数が多くて、年少組に応募した次兄は落選。(長兄は入園済み)
当時祖父が病気になり、父と母が代わって自営業を切り盛りしてとても大変な時だったので、父は決定を不服として役所に乗り込んでいったほどだったそうです。
『働いていないヤツのほうが受かって、なんでウチが落ちるんだ!?』と。
役所勤めの伯母(父の姉)が止めに入ってくれましたが、決定が覆るわけではなく。
1年待って、年中組からの入園になりました。

私の時になったら少し人数が減って年少組に空きが出ました。
ちょうど次兄が卒園した次年度です。
当時の担当者が真っ先に我が家を訪れ、ご機嫌を伺うようなカンジで私を入園させてくれると言ってきたそうです。
でも、頑固な父はあの時の事を根に持っていて、断固お断り!
私は両親のトラックに乗せられ、あちこちの建設現場で遊んで過ごしていたのを覚えています。

翌年、私も年中組から入園、3兄妹そろって2年ずつお世話になりました。

両親は今でも、『あの時は大変だった・・・』と言っています。
私は楽しかった思い出しかないんですけどね。(笑)
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今ほど大っぴらではありませんが、こうやって見ると昔から保育園の問題はあったんですね。
水面下で分からなかっただけで。

『保育園落ちた日本しね』で話題になるまで、ないがしろにされてきたのだと。

選挙があると必ず候補者のマニフェストに乗るくらい、保育園問題は課題としてようやく日の目をみることができました。
ホントならもう少し早く取り組んで欲しかったですけど。
選挙の時って、年寄り票が欲しいからって福祉の事ばっかり演説してたけど、最近は変わりましたね。

この問題がこれからどう変わっていくのか、これからもママ目線でしっかり見ていきたいと思います。

(その3へ)

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